「若者の◯◯離れ」なんて言葉に惑わされると経営判断を間違える
「若者の◯◯離れ」ってよく言われますが、もうその発想自体が古いと思います。
確かに、クルマ、新聞、お酒…以前は若者がみんな買っていた商品が低迷しています。
業界の人が見たら若者が離れているって感じるかも知れないけど、本質的に観るポイントが違うのでは?と思っています。
今は趣味嗜好が多様だし、それに応える商品・サービスが充実している
「若者の◯◯離れ」を、新聞を例に考えますね。
僕が携わる業界なのでよく分かるんですよ。
確かに、若者の新聞購読率は年々、下がっています。
業界側から見たら、どう見ても新聞離れが起きているように見えるし、事実、そうなのですが、その原因を生活者の視点から見ることが大切だと思うんです。
先日の会合で後輩が営業ネタで寸劇をした様子
よく「新聞を読まないのは、ネットが普及したから」と言いますが、本質的には違います。
可処分所得とか処分時間を別のことに使うようになったと考えるべき、僕はそう考えています。生活者の予算は限られています。時間も有限です。
それを何に使うか?
時間と予算を別のことに持って行かれたというわけね。
例えば、町の小さなお店ががんばった影響がディズニーランドに出る事があるわけです。しかも、今って、趣味嗜好が多様だし、それに応える商品・サービスが充実しています。そこが昔と違うところです。
今は世代ではなく感性の属性で消費が成り立っている
昔は、同じ世代の人間は、同じ時期に同じようなライフスタイルを送っていました。
その典型が団塊世代。
少年マガジンを読んで育ち、大学に行って、学園紛争でがんばったけど就活の時にはサラリーマンカットで面接に行った。
クルマは基本ステータスだし、オーディオにも詳しい。
同じ時期に結婚して子どもを授かり、その時期に創業したミキハウスのお世話になった。企業から見たら、すごくオイシイ世代ですよね。今に比べれば消費先の選択肢はとても狭かったので「若者」という括りで消費動向を分析できたわけです。今は、世代の括りで語れる時代ではありません。
20代男性とか、30代のキャリアウーマンという属性が意味をなさないんだよね。その代わり、感性の属性がある。「こんなことに心地よさを感じる人たち」…それは世代を超えて存在しています。
だから特別な場合、例えば入学とか成人式といった強制的にニーズが生まれる分野以外は、世代で括るのは意味がない。そんなことをしていたらお客様の気持ちに寄り添えなくなってしまいます。
つまり「離れたのは企業の方だった」ってことになっちゃう。
成熟した社会ではそんな視点が必要だと思います。
それでは今日も素敵な1日をお過ごしください。
また明日!