私たちは、誰かからの贈り物に囲まれて生きている
人間関係がおかしくなる第一段階は、相手のことを「当たり前」と思うことにあるのではないでしょうか。
「有り難い」とは、「めったにない」ということなのに、それを当たり前と思えば関係がおかしくなるのは当然のことだと思います。
目の前にあること…「恩」に感謝して初めて良好な関係が築かれるのだと思います。
恩とは、誰かによる贈り物です。
私たちは、実は贈り物に囲まれて生きているのに、なかなかそれに気づきません。
水道をひねると水が出る。
ゴミを出せば行政が回収してくれる。
学校に通うことができる。
救急車を呼べば必ず来てくれる。
朝、社員が出社する。
子どもが笑顏でいてくれる。
あげればキリがありませんね。
僕の友人は、東日本大震災で当たり前を失いました。
友人のリアルな話を聞き、僕は、いかに日常にあるものが、文字通り「有り難い」かに気づいたのです。
哲学者の近内悠太さんは、著書「世界は贈与できている」の中で、有り難さを下の図で解説しています。
黒丸は、目の前に当たり前に存在するものです。それは、当たり前であるが故に、止まって見えます。
左の図から見ていきましょう。この状態で、黒丸が揺れ動いても、放っておけば、自然の力(重力)で、しかる場所に勝手に戻ります。
私たちは、有り難い存在を、このように捉えてしまっていないか?という問題提起です。
このように捉える人は、異常が起きた時に「平常を乱したヤツがいるはず」と他者を責める思考に陥りがちです。
原理的に感謝の気持ちを持つことができなくなるのです。
そうではなく、右の図ではないか?と近内氏は問うのです。
つまり、放っておけば瓦解してしまうものを、誰かが一生懸命にあるべき場所に保ってくれているということです。
水道をひねると水が出るのも。
ゴミを出せば行政が回収してくれるのも。
学校に通うことができるのも。
救急車を呼べば必ず来てくれるのも。
朝、社員が出社するのも。
子どもが笑顏でいてくれるのも。
誰かが支えてくれている。
あなたも支えている1人。
私たちは、当たり前にあるものの有り難さを、それを失った時に気づきます。
件の友人は、大震災の1週間後、会社に行くと、社員さんが1人、瓦礫の片付けをしていたそうです。
「出社してくれてありがとう」ではなく、「生きていてくれて有難う」と心から思ったそうです。
人が、そこに存在していることは、本当に有り難いこと。
生きていた上に、会社に来てくれたのだからウルトラ級の贈り物ですね。
贈り物は、できれば失わずして気づきたいものですが、それができるとすれば、支えてくれている人の存在を想像する力を持つことだと思います。
今、目の前にどんなものがあるでしょうか。
どんな人がいるでしょうか。
その存在を支えてくれている誰かを想像することだと思います。
そして大切なことは、あなたが存在することは、それだけで誰かを幸せにしているということです。
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