AIに仕事が奪われた先に訪れるユートピアを想像してみる

いつの時代にも、その時代を反映した「不要論」が登場するものです。
インターネットで検索すると、「商社不要論」「営業不要論」「努力不要論」など、数多くがヒットします。

最近では、AIの登場による「職業不要論」が盛んに議論されていますね。
ざっと調べただけでも、一般事務員、銀行員、警備員、建設作業員、スーパー・コンビニ店員、タクシー運転手、電車運転士、ライターなどが候補に挙げられています。

このことをネタに危機感を煽る人がいますが、僕は楽天的に捉えています。

はるか昔、当時の人が描いたユートピアを思い出すと面白い洞察が得られます。

このイラストは、1969年に子ども向け雑誌に載ったものですが、この中に登場する便利なモノの多くが実現しています。
実現したのであれば、イラストの登場人物のように「機械のおかげで自適に暮らせている」という表情をしていてもおかしくありませんが、どうしたのでしょうか?

AIに仕事を奪われることを危惧するあまり、人生を愉しむ可能性に蓋をしてしまっているのかもしれません。

自適とは「心のおもむくまま」という意味です。「自分がやりたいことができる」と解釈しても良いと思います。
「自分がやりたいことをやるために、そうでないことはAIに頼る」という本懐があれば、希望は拡がるばかりだと思います。

逆説的な事例が、僕が書いているブログです。
色んな方に「米澤さんはAIにブログを書いてもらえば、自分のビジネスに集中できるのでは?」と提案されますが、その提案は根本からズレています。
「自分がやりたいことをやるために、そうでないことはAIに頼る」と考えているので、大好きなブログ執筆をAIに任せるわけがないのです。

提案してくれる方は「その方が経済的に有利ですよ」と経済合理性をもとに提案してくれるのですが、そもそも目的が違うということです。

かつて、SONYの創業者である井深大さんは、自社の技術者向けに「パラダイムシフトは人間の側にしかない」という趣旨の講演を行いました。
技術者は、技術に拘りますが、井深さんは「それは道具立てに過ぎない」と喝破します。技術により人間の生活、生き方が変わることに価値があるということなのです。

世界的規模で見ても、仕事を愉しんでいる人の割合は5%ほどだと言われています。(出所:米ギャラップ社 “State of the Global Workplace 2021”)
お金のために我慢して働いている人が圧倒的に多いわけですが、もしAIによりパラダイムシフトが起きるとすれば、本当にやりたいことをやって生きる…自己実現を生きる人が増えるという可能性があります。

根本問題は、AIに仕事が奪われる云々ではなく「やりたいことで自己表現する」というビジョンの欠如ではないでしょうか。

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