「結果がすべて」という考え方は正しいのか?
「結果がすべて」という主張に対し、「いやいや、愉しくなければ意味ないじゃん」という反論があります。
どちらの主張が正しいのでしょうか?
僕は双方の主張を聞き、双方に正当性があると思っています。結果が出せない大谷翔平選手はベースボール市場では価値を成さない一方で、彼からほとばしる「野球大好きオーラ」があるからこそ、ファンの心を掴んで離さないのだと思いますし、好きでなければ厳しいトレーニングに耐えられないでしょう。
「愉しくなければ意味ない」という主張は成熟社会に入ってから顕著になりました。その背景には「お金のために自分を犠牲にするのは嫌だ」と考える人が増えたことがあります。
もう十分に豊かになったのに、「もっと高性能なものを」「もっと他者から羨ましがられるものを」と際限のない成長を目指し、その圧力を受け疲弊しているのです。
しかし、結果と愉しさは二項対立するものなのでしょうか?
この問いに対し、僕が参考にしているのがSONYが創業時につくった設立趣意書です。
「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」
(設立趣意書の画像)
要するに「技術者が夢中で仕事を愉しめるような会社にしよう」ということです。この趣意書に注目したのが、「フロー」研究の第一人者である、ミハイ・チクセントミハイという心理学者です。(フローとは、時間感覚を忘れるほどに没入した状態で、スポーツの世界で言う「ゾーン」のことです)
SONYは、トランジスタラジオやウォークマンを始め数々のイノベーティブな製品を世に出していますが、その創造性の源が「仕事そのものを愉しむ」という態度と考えることができます。
ここには、「結果か愉しさか?」という二項対立ではなく、双方が統合された世界観があります。
ここで注意したいのは、「結果を出すために愉しさが必要」という因果関係ではないということです。SONYが自由闊達で愉快な会社を「目的」としたように、仕事の行為そのものから愉悦を得ることを第一義と考えるのです。
結果から逆算して今の行動を決めるという発想は経営戦略の基本とされていますが、そのあり方とは180度違いますね。
このことはウォークマンの誕生秘話に表れています。そもそも、ウォークマンは、海外出張の多い井深 大氏(創業者)が飛行機の中で聞ける音楽プレーヤーが欲しいという衝動が開発の発端だったと言います。利益を得るために考えたものではなく「愉しいもの」に従った結果が世界的な大ヒットになったということです。
モノに満たされ、これ以上の物質的な生活水準の向上が見込めない現代では、ますます創造性が求められることは言うまでもありません。
しかし、創造性もまた愉しさの結果に過ぎず、目的にした瞬間に遠ざかってしまいます。
ピカソは、決して創造的になろうとしたのではなく、描きたいという衝動に従い、創作活動に全身全霊を捧げた結果、私たちが創造性と呼んでいるものが発現したのだと思います。
結果か愉しさか?という問いに対しては、愉しさが「主」で結果が「従」ということになるのではないでしょうか。
6月26日(水)に、「指示ゼロ経営説明会」を開催します。
指示ゼロ経営の基礎中の基礎を学ぶことができます。
今回の特別テーマは「正しい賃上げの実務」です。無策な賃上げは危険です。賃上げムードを企業力向上の追い風にする基礎知見を学びます。