「良いものは売れる」を勘違いすると企業は迷走を始める
僕が物心ついた頃には、世間にはカラーテレビが普及していましたが、姉から聞く話によると、それ以前、例えば人類初の月面着陸の時は、テレビ(もちろん白黒)のあるお宅に近所の人が集まって見たと言います。
当時の人にとっては「魔法の箱」だったに違いありません。
それからテレビはカラー化し、家庭の娯楽の中心として凄まじい普及を遂げます。買い替えも激しく行われました。新製品がリリースされるたびに、画質は良くなるわ画面は大きくなるわ、サラウンド音響はつくわ、薄型になるわで「機能的価値の向上」をもってして生活者の欲望をくすぐりました。
メーカーは、買い替え需要を強引に作り出したと言えます。実際に、製品の耐久年数よりも、買い替え期間の方がはるかに短くなったのです。
使い捨てとまでは言いませんが、それに近い感覚で消費が行われたと言えます。
現代人に、その消費のあり方を豊かだと思う人はいないと思います。
テレビに限ったことではありませんが、「機能的価値の向上」による価値が限界に到達しています。テレビは4Kがピークだったと思います。その後、8Kと言われても「もうお腹いっぱいです」という感じですよね。
お腹いっぱいなのはテレビそのものだけではありません。リモコンなんか「嫌がらせか?」というほどボタンがついています。
我が家のリモコンには、55個ものボタンがついていますが、使うのは「電源」「チャンネル」「音量」くらいです。
もはや迷走という他はありませんが、これは「もう、これ以上便利にできない」という終着点を意味しています。
これ以上、スペックを向上させられない製品に囲まれると、生活者の感性が変わります。
「最近、テレビを見なくなった」
という人が、僕の周りに増えてきました。
テレビ以外の娯楽があることもありますが、コロナ禍を経て、テレビがけたたましく鳴り響く生活を豊かだと思えない人が増えています。
今ここにない世界よりも、家族や友人、恋人と心が通わせる、温かみのある娯楽を選ぶ人たちです。
我が家もそうで、テレビを付けている時間は、平均すると1週間のうち20分くらいです。
映画を観る時にはモニターとしてテレビを使いますが、映画鑑賞の情緒を追求した結果、こんなテレビに行き着きました。
1960年代のブラウン管テレビを改造したもので、スペックは話にならない不便なものですが、これで観る映画は格別の情緒があります。
機能的価値は低いが「感性価値」は高いのです。
感性価値は、扱いが非常に繊細で、気をつけないと無粋になってしまいます。我が家の映画鑑賞用テレビに、「例の嫌がらせリモコン」が付いていたり、モニター部分が薄型液晶だったりしたら一気に興ざめしてしまいます。
「良いものは、本当に良いものなのか?」ということで、企業は時代が求める豊かさを正しく把握する感性が求めると思います。
豊かさや価値というものが大きく変わろうとしている…そんなことをバクダットカフェを観ながら思ったのです。
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