あなたが人生を賭してやるべきことは「つくる」ものではなく「気付く」ものだと思う
私たちは、軸が決まっていてブレない「一貫性のある人」を評価します。
しかし、僕は、他者の評価に振り回されない方が良いと考えています。一貫性とは、他者が理解できないことがあるからです。
やっている本人には一貫した考えや思いがあって、それに基づき色んなことを試したり挑戦したりしている人に対し「一貫性がない」と言う人がいますが、そんな声は無視するのが一番です。
そんな生き方の方が、現在のような正解が分からない時代には適していると思うのです。
ただし、「何を軸に生きるか?」はしっかりと考えた方が良いと思っています。
25年ほど前のことですが、あるセミナーを受講し、そこで出会った方が、講師から「あなたは、儲かりそうなことは何でもやってみなさい」とアドバイスを受けていました。
その方はアドバイスに従い、コンビニからガソリンスタンド経営に至るまで、本当に実践しました。
しかし、何1つ開花しませんでした。
もう、そういう時代ではなかったのです。
「そういう時代」とは、モノがよく売れ経済が成長する時代ではない、成熟社会ということです。
簡単に参入できる商売に、誰がやっても儲かる商売なんてものはない時代に突入したのです。
僕の親友に呉服屋の社長とスーパーマーケットの社長がいます。
呉服店の友人が一貫して大切にしている思いは「和の文化」で、それに基づき経営をしています。
お客様と呉服を着て和を体験するバスツアーや、香道、作法など広い分野に精通しています。書籍も出版しています。
「和の文化」という軸が見えない人には一貫性は感じられないかもしれません。
スーパーマーケットを経営する友人は、とにかく、自分で食べてみて「これはお客様に食べて欲しい」という思いに基づき、様々な商品を仕入れて販売しています。その思いを知らない人には「なんでも売る店」と、一貫性がないと映るかもしれません。
僕の友人たちには「思い」という一貫性があるのです。
現代の生活者は、生活必需品を買って使う「消費」の買い物と、自分の生活を特別に彩るための「生産」の意味合いの買い物を使い分けます。
前者は大企業の寡占化が進む一方で、後者は思いを持った中小企業による多様化が進むでしょう。
思想、哲学、思いの一貫性を持ったら、そのための手段に関しては、他者から何を言われようとも、たくさん試してみるのが良いと考えています。
僕には発達障がいを持った若い友人がいます。その方は、自身の体験から、障がいがある子もそうでない子も同じ教室で学ぶ重要性を知っています。
目下、彼の夢は「教育長」ですが、それは目的ではなく「手段」です。彼の思いが開花する職業(手段)は他にもあります。
塾経営、ダイアログ・イン・ザ・ダークのような体験型ワーク施設経営、地域コミュニティ開発など様々で、たくさん試してみて自分に合うものを手探りするのが良いと思います。
一貫する思いが分からない人も、とにかく何でもやってみることが良いと思います。色々やると、しっくり来るものと来ないもののコントラストが浮かび上がり、やがて自分の軸が観えてくると思います。
呉服屋とスーパーマーケットの友人たちも、最初から自分の軸を持っていたわけではないと思います。
オランダの哲学者「スピノザ」は、自分が自分であろうとする力を「コナトゥス」と呼びました。
僕は、一貫性とはコナトゥスに基づいているかどうかだと考えています。
そして、コナトゥスは自分の努力で「つくる」ものではなく、すでに有るもので、それに「気付く」ものだと思います。
だから、色んなことを試すのが良いと考えるのです。
他人の評価に振り回されずにね。
というわけで今日も素敵な1日をお過ごし下さい。