人生、失敗してもやり直しができる、ではなく「そんな自分だから紡げる未来がある」と考える
よく「人生、いくらでもやり直しができる」と言います。
僕は日本という国が大好きですが、1つ気に入らないことを挙げると、失敗に対し不寛容であることです。
就職氷河期で入社を逃した人たちの中には、その後、キャリアを作れず大変な思いをしている人がたくさんいます。
企業が、できるだけ失敗をしなかった人を採用したがることが原因の1つです。
「失敗は成功の母」という金言がありますが、本当にそういう社会になって欲しいと、50歳を過ぎた頃から思うようになりました。
先日、そんな僕を勇気づける話を聞くことができました。
先日の記事でも紹介した、東京渋谷に本社を構える「iYeel株式会社」の窪田光洋社長の話です。
同社には「失敗大賞」なる表彰があるそうです。
賞の設立の意図は「挑戦の促進」です。
失敗したということは挑戦した証、だから称賛に値すると考えるのです。
社員さん、成長するだろうし仕事が愉しくてしょうがないだろうな〜
さて、冒頭に「人生、いくらでもやり直しができる」と書きましたが、実は僕は違う考え方を持っています。
「やり直し」ではなく「その時点から紡ぐことができる」と考えるのです。
そう考えれば失敗は失敗でなくなります。
仕事も人生も「やっては、直し」「やっては、直し」の繰り返しです。
特に今の時代、やってみないと分からないことだらけ。
これは逆に言うと、「やれば分かることがある」ということ。
僕には、名も知らぬ素晴らしい少年との出会いがあります。
今から5年ほど前にとある少年院で夢新聞ワークショップで出会った少年です。
今から夢新聞の説明を赤字で書きますので、すでにご存知の方は読み飛ばしてね。
夢新聞とは自分の夢が叶った未来に出される、自分の活躍を伝える新聞を手作りするワークショップです。
文章はすべて完了形・過去形で書きます。
人生、生きていれば色んな事を体験しますが、後になって「あの出来事があったから今がある」って思う瞬間がありますよね?
物語が紡がれている。
特に辛い出来事が未来の起点となることが多いです。
人生の物語を紡ぐ訓練をするのが夢新聞です。
その少年院で出会った少年の夢新聞の見出しには、「将来、父親の会社を継いだ」という文字が踊っていました。
少年院ではプライベートに踏み入りことができないので話を聞くことはできませんでしたが、新聞の文章には「過ちを犯したことで正しく生きる大切さを知った」「正しく生きるという事を体現する会社をつくりたい」という旨が書かれていました。
そして、最後に大きな字でこうあった。
「私の過ちを嘆いた父が、今では最高の応援者となっている」
僕も応援したいと思った。
その後、少年がどうなったかは知る術もありませんが、描いた未来に向かって物語を紡いでほしいと心から思ったのです。
人生、やり直しもできますが、その時点から紡ぐことができます。
社会がそれを支援するようになれば、希望に満ちあふれる世界が広がるだろうなと思うのです。