脱カリスマ経営は「人と求心力の分離」で実現する
よく「何をやるか?よりも誰とやるか?」が大切だと言います。
その通りだと思う反面、いつもどこかに違和感を感じてきました。
その理由は、とても仲が良い人たちが集ったのに何もできなかったというケースを見てきたからです。
どうやら気が合うだけではチームにはならない。
リーダーシップが必要なのか?
カリスマが必要なのか?
報酬が必要なのか?
僕は「求心力」が欠かせないと考えています。
まあ、当然っちゃ当然ですがね。
僕が求心力の本質に気付いたのは、ホワイト企業大賞を受賞した、iYeel株式会社の窪田光洋社長の話を聞いた時でした。
窪田社長も「何をやるか?よりも誰とやるか?が大切」と明言しています。
同社は住宅事業者向けのローンの支援を行っている会社ですが、話の中で「ウチは何屋でも良い」とおっしゃっていました。
「ラーメン屋でも居酒屋でもいい。この仲間となら」
僕はこれを聞いて理解したのです。
「何をやるか?よりも誰とやるか?」が大切なのではなく、この思想が求心力になっていることに。
ややこしい表現ですよね。
つまり、本気で「誰とやるかが重要」と考えているから成り立つのであって、その事自体は普遍的な真理ではないということです。
僕は求心力とは言い換えれば「信じていること」だと考えています。
自分が信じることを同じように信じてくれる仲間が集った時に「真の組織」になるのだと。
業務を遂行するためだけに結成された組織とは違う強くしなやかな組織です。
真の組織は、最初はたった1人の思いから始まります。
例えば、僕が経営してきた新聞販売店は、僕の思い「人には役割があり、自分だからできることで誰かに喜ばれた時に人生が開花する」という思いが求心力になっていました。
その段階では「人=求心力」という状態です。
それがメンバーとの対話を重ねるうちに「みんなの思い」に昇華しました。
僕はこの現象を「我々化」と呼んでいます。
我々化が進むと、やがて「人と求心力の分離」が起こります。
それまでリーダー自身が求心力だったものが、「みんなの思い」に転換するのです。
この段階に来ると脱カリスマが実現します。
カリスマ経営は本人がいるうちは機能しますが、組織を去った後には求心力を失い迷走します。
もし、今、求心力となる思いがなければ内省を行い自分の中にある思いに気づくこと。
人=カリスマの状態であれば、対話を重ね思いを組織の文化にすること
次の段階を見越して準備することが大切だと思います。
自社の実情にあった求心力のあり方を模索してみてはいかがでしょうか?
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