誰もが持っている「才能の種」から咲く花は無数にあると思う
誰もが持っている「才能の種」から咲く花は無数にあると思う
僕は人には「種」があると信じています。
「種」とは才能など、その人が持つ傾向性の源です。
簡単に言えば「才能の種」ね。
まさに昔ヒットした「世界に一つだけの花」の世界ですが、僕の考えは少し違くて、こう考えています。
「種から咲く花は何種類もある」
と考えています。
僕は12年間、夢新聞を主宰してきましたが、その活動の中で「種」を持った人たちに多く出会ってきました。
例えば、今から7年前、2015年の5月に開催した夢新聞ワークショップに参加してくれた小学5年生のS君との出会いは忘れられません。
その日の参加者はほとんどが大人で、小学生はS君だけでした。
みんな初対面なので、最初に1人づつ自己紹介をしました。
S君の番が来た時に、みんな「あれ?」という顔をしました。
なかなか喋り始めないからです。
第一声を発した時に理由が分かりました。
彼には吃音(どもり)があり、スムーズに喋ることができないのです。
それでも彼は一生懸命、振り絞るようにこう言いました。
「僕には吃音があります。皆さんの手をお借りするかもしれませんがよろしくお願いします」
素晴らしい自己紹介だと思いました。
僕は、S君がどんな夢を描くか楽しみでした。
夢新聞ワークショップでは、最後に1人づつ自分の夢を発表します。
彼はマイクを向けられて、どもりながらも堂々と発表しました。
「長野県の教育委員になった」
すげー!…そう思った瞬間、誰かがパチパチと拍手を始めたのです。
そして、その拍手がさざ波のように広がり、最後はスタンディングオベーションになり轟音のように会場内に響いたのです。
彼のたくらみは、まずは教育委員になり、やがては教育長の座を狙うという壮大なものでした。
僕は鳥肌が立ちました。
僕が「どうして教育長になりたいの?」と聞いたら、障がいがある子も、そうでない子も、同じ教室で学べる環境を作りたいと言うのです。
障がいがある子は特別支援学級で学びますが、社会に出ると特別に支援してくれる人がいる保証はありません。
だから、仲間と人間関係を作り、自分が苦手な分野は他者の力を借りること…「助けを求める力」が必要だと考えているのです。
また障がいがある人にも才能があり、それが活きる協働をみんなが学ぶ必要があると考えているのです。
自分の体験から、その方が双方にとって良いからだと言います。
体験から得た彼のその思想、哲学が彼の「種」だと思います。
その時以来、僕は彼に会っていません。
もう18歳、選挙権がある成人になっています。
もしかしたら、今は教育長ではない、別の夢を持っているかもしれません。
でも、「種」がある以上、開花の方法…咲く花は何種類もあると思うのです。
どんな事が起きても、種を大切にすれば、S君はいかようにも行きていき人生を開花させられると。
種はあなたにもある。
どんな開花の仕方があるでしょうか?
楽しみですね!
それでは今日も素敵な1日をお過ごしください。