失敗や辛い経験をした人には、経験した人にしか紡げない未来があると思う
ネットなどを見ると、若者の「詰んだ」という表現を目にすることが結構あります。
要するに失敗して「終わった」「チェックメイト」を意味します。
僕は、この詰むという言葉を使わなくていい社会を願っています。
確かに、日本は失敗に不寛容な国だと思います。
例えば、たまたま運悪く就職氷河期で就活をして失敗した人の中には、その悪影響がいまだに続いている人が多くいます。
失敗に不寛容な上に、社会が成熟期に入り以前のような経済成長の後押しがない時代だと、人は守りに入ります。
守りに入ることで、よりエネルギーが封印され前に進まず、より守りに入るという悪循環に陥る。
それが現代の不安の原因だと考えています。
経営者は利益を社員の賃上げに使わずに内部留保に回しますし、生活者は消費を控え貯蓄に回します。
失敗を考えたら無難を選びます。しかしリスクを乗り越え冒険をしないと繁栄はありません。
どうすれば解放系になるのか?
簡単な話、個人も法人も国家も、冒険をしないと時代の変化に置いていかれるので、嫌でも冒険に誘われます。
重要なのは、その時のあり方だと思います。
僕は「紡ぐ力」だと考えています。
そのヒントとしてスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ博士の「計画された偶発性理論」があります。
博士の研究では、個人のキャリアは予定通りにはいかず、偶然により人生が拓けるといいます。
この経験は多くの人がしていて、「あの出来事があったから今がある」というやつです。
後になってみると、偶然の出来事がまるで物語を構成するいち場面のように紡がれていたという感覚です。
それは勇気をもって行動した人だけが手にする世界だと思います。
そして、物語の先には何があるのか?
紡いだ人の中には不思議な感覚…自分の人生のミッションに向かって行っているという感覚に包まれる人が多くいます。
ある発達障がいを持つ小学5年生の少年がいます。
彼は障がいがあることで2つの素晴らしい学びを得ました。
1つは、人には1人ではできない事があることを認め、他者の助けを借りる大切さ。
もう1つは、障がいがある人も誰かに必要とされる、かけがえのない存在だということ。
彼の夢は長野県の教育長になり、障がいがある子もそうでない子も同じ教室で学ぶインクルーシブ教育を実現することです。
教育長はミッションではないと思います。
手段です。
もし、彼が将来、教育長になれなかったとしても、その経験すら物語のパーツになり、別の手段を使い彼のミッションに向かう人生を紡ぐことができると思うのです。
詰むから紡ぐへ…
そんな社会の実現に向け、面白いことをたくらんでいるので、その時は乗ってほしいと思います。
それでは今日も素敵な1日をお過ごし下さい!