経営は科学ではなく科学「的」なもの。「的」の部分を理解する感性を持つ
昔、僕が尊敬する大先輩から「米澤、正しさだけでは経営はできないぞ」と言われたことがあります。
当時の僕を戒めてくれたのです。
そう、僕は当時、真理ばかり追求していたのです。
(ここで言う真理とは、理屈として正しいものを指します)
真理も大切だが、「道理」を大切にせよという教えでした。
(ここで言う道理とは、理屈では観えない大事を指します)
30代前半の頃、僕は自分なりの「正しい経営」を目指していました。
正しさを持つためにはモノサシが必要になります。
有難いことに世の中には経営のモノサシがたくさんありました。
その多くは100年前に開発された、西洋的な発想で作られた「科学的管理法」から派生したものです。
経営をモデル化して、「これをインプットすれば、こういうアウトプットがある」という再現性が高い手法です。
使う用語は工業的です。
インプット、アウトプット、ボトルネック、レイヤー(層)、効率化、合理化…
分類も大得意です。
線で区切って分類をして、そのモノサシで意思決定します。
さて、こうした科学的管理法から派生する経営法は、今や、ほとんどの企業の標準になっています。
しかし、ここで疑問が湧くわけですが、科学と言うものは、なぜ科学と言うのかというと100%の再現性があるからです。
この世にある全ての企業が儲かっていなければおかしいことになります。
ああ、なるほど。
だから科学「的」と表現するわけです。
「的」とは、「そのような性質をもったもの」なので、厳密には科学ではないのです。
(ちなみに心理学は厳密には科学ではない)
僕の大先輩は、科学を活用しつつ、「的」に含まれるものを大切にしろと言ったのです。
それは人間の領域に多い。
曖昧、不安定で矛盾を内包している、それが人間だと思うし、これが「正しさだけでは経営はできない」という事なのだと思います。
僕は森が大好きです。
四角い脳が丸くなるからです。
森の生態系は、人間のモノサシでは測れない複雑系です。
測ることが不可能だと、「まあ、そういうものか」という風に受け止めることができるのです。
諦めと言ってもいい。
正しさだけでは経営はできない。
正しさは対比する「悪」「間違い」があって初めて成り立ちます。
だから、正義を持つほどに人を裁き、それにより衝突や分断が起きます。
イキイキと働くベースが壊れちゃう、そんな様子を見て危惧した先輩からのアドバイスに救われたのです。