これができて初めて一人前のチームである
一人前とはどういう人を言うでしょうか?
考え方は様々だと思いますが、僕はこう定義しています。
「自分で課題を見つける」→「自分で方法を考える」→「行動する」→「行動の結果を検証、次に活かす」
この一連を自分の意思でできる人を一人前と呼んでいます。
結構、ハードルが高いよね?
そして、一人前のチームというものもあります。
「自分たちで課題を設定し」→「三人寄れば文殊の知恵を出し」→「自分たちで役割を決め行動」→「行動の結果を検証、次に活かす」
これができ、1人1人が純粋に仕事を愉しんでいる状態を指示ゼロ経営と呼びます。
これも簡単なことじゃないよね?
一番、難しいのは「自分たちで課題を設定し」の部分です。
チームって、本当に考えなきゃいけない課題ほど脇に置いてしまう傾向があります。
それは技術的な課題ではなく、あり方に関する課題です。
例えば、会議などで「今期の売上がかんばしくない」と言った課題は出しますが、その根本原因である「メンバーの士気が低い」といった課題を出さないのです。
他にも、組織の風土に関すること…例えば、「上を怖がって本音を言わない」「村社会、馴れ合いになっていて言うべきことを言わない」「メンバーが会社を他人事に思っている」など、本質的なことほど話し合いのテーブル上に上がらないのです。
臭いものに蓋をしてしまう、まさに「見ざる、言わざる、聞かざる」の状態。
こうした本質課題を設定できて、初めて一人前のチームだと考えます。
僕は、自分が経営してきた会社での経験から、そしてクライアント企業を見てきて、本質課題を設定できる組織には共通点があることを知りました。
それは、「課題と人を分離する」考え方を持っていることです。
言い換えれば「人のせいにしない」風土です。
本質課題は自分たちのあり方、働き方に関するものが多いから、ともすれば「誰が悪い」という議論になりがちです。
他人を責めるのも責められるのも嫌だから、なかったことにしてしまうのだと思います。
課題と人を分離する時の合言葉は「人はそもそも善良である」です。
起きる様々な問題は、人が善良であるがゆえに起きている、みんな会社を良くしたいと考えている…こうした事が全員の共通認識になっている、いや、文化のレベルになっているのです。
本質課題の話をするのは怖い、でも、見捨てられることがないという安心感があって初めて話し合いのテーブル上に上げることができるのです。
これが指示ゼロ経営が考える「一人前のチーム」です。
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