クラリネットを壊しちゃったら謝ろう。壊されたら一歩だけでも許そう
コロナの騒動は感染リスクだけでなく消費や雇用、賃金、さらには企業の存続そのものを脅かす事態に発展しています。
一刻も早い終息を願うばかりですが、その間には様々な問題が起きて、それに伴う対立、衝突が起きると思います。
対立、衝突の本質は、自分の心の内面の問題です。
例えば、ニュースサイトのコメント欄に怒りをぶつける人がいます。
批判をしているようでいて、実は、自分の内面で消化できない怒りや悲しみを誰かに向けていることは文面から分かります。
こうした事が自分の身にも降りかかる可能性があると思うのです。
対話からは素晴らしい価値が生まれますが、対立からは何も生まれません。
対立を対話に変えるには「許し」が必要だと僕は思っています。
言葉通りの単純な許しではなく、もっと複雑で深い許しです。
相手の大切なクラリネットを壊してしまった
僕には痛い経験がたくさんあります。
思い出すだけで心が痛くなるし、今でも夢に出ることがある、そんな経験です。
勇気を振り絞り告白します。
今から25年ほど前、僕が新聞店の社長をやっていた時の出来事です。
新聞店の仕事の中に折込チラシのセット作業があります。
前の日に、翌日のチラシをワンセットにします。
ある日、朝10時を過ぎたころ…
明日のチラシをセットしようと準備をしていたら…
今日、織り込まなければいけない(昨日セットべきはずの)チラシがあるではありませんか…
見ると「○月○日、朝10時より特売」とある、今日です。
冷や汗がツーと頬を垂れました。
きっと、そのお店は今頃、特売開始の時間なのにお客様が来ない、そんな状況になっている…
こちらのミスですので売上の補償しなければならかい…
その時、僕はとっさに言い訳を考えました。
もしお店から「ちゃんと入れてくれたよね?」と問い合えせがあったら「ハイ!入れました!!」と嘘をつくことさえ考えました。
でも、そんな嘘はバレる…
今でも覚えていますが、頭の中で「クラリネットをこわしちゃった」の歌が流れていました(笑)
許しから対話が始まり協働が生まれた
こういう時って、色んな言い訳が思いつくものです。
そこには「会社を守り、社員の生活を守る責任がある」なんて変な大義を引っ張り出してでも正当化しようとするのです。
しかし無理です。
せめて、お店から問い合わせが来る前に、直接会ってお詫びをしよう、そう思いすぐに伺いました。
クルマから降りて店内を見ると、店主がレジで腕組みをしていました。当然お客はいません。
僕が店内に入ると、店主は何も言わずにじっと僕を見つめます。
「○○さん、すみません。チラシ、入れ忘れてしまいました」
ストレートにお詫びしました。
「さあ、石打ちの刑が始まる」…そう身構えました。
すると…
「よくもまあ、来たな」と静かに言いました。
僕は「ぬけぬけと来やがって」と解釈しました。
「本当にすみません」と言うと、店主は言いました。
「しょうがねぇな〜 一緒にこの商品を売りさばく方法を考えてくれ」
僕は聞き間違えをしたのかと思い、目が点になりました。
「よくもまあ、来たな」とは、よく勇気を出して謝りに来たという意味だったのです。
取り急ぎ、チラシを刷り直して翌日に入れる手配をして、生鮮食品は僕も買い、友人にも電話をして買ってくれるようお願いをしました。
店主も常連客に電話をしてくれました。
お詫びとして次回の折込代金は無料にさせていただきました。
店主は、僕を責めようと思えば、いくらでも責められたはずです。
これは僕の推測ですが、店主は多分、最初は烈火の如く怒ったと思います。
しかし、すぐに怒りに向き合い、怒りを許したのだと思います。
だから僕を許した。
だから僕と対話し僕を巻き込めたのだと。
僕は、申し訳ないという思いと共に、店主の器に畏れを感じました。
対立したら互いに傷を負いますが、対話すれば未来を創れる。
こんな事は、僕には今でも真似ができませんが、もしできたなら、より多くの人と繋がり、対立があったからこそ、より強い絆が築けると思います。
クラリネットを壊しちゃったら謝ろう。
クラリネットを壊されたら自分の感情に向き合い、一歩、許そう。
今、どうしても許せなかったら時間を置こう。
対立を超え対話ができたなら素晴らしい未来を創ることができると思います。
それでは今日も素敵な1日を!
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