社長業は恐れとの付き合い業だと、つくづく思う
恐れの出どころは自己の存在意義の崩壊
部下に任せることができれば多くの良いことが起きます。
例えば、自分の限界を超えて組織が成長します。
時間的ゆとりができるので社長は新たな学びや出会いを得ることができます。
新たな飯の種を探すこともできる。
と、頭で考えると任せるメリットは分かるのですが、いざ任せるとなると「見えないブレーキ」がかかるものです。
それは得体の知れない恐れとして心と行動を支配します。
情動は理性を上回りますので、如何ともしがたい。
「やめられない止まらない」の世界です。
飢えればどんな手段をもってしても食料を手にするのと同じくらいの衝動だと思います。
僕は、指示ゼロ経営を成功させる最も大きな壁が、自分の内面に立ち現れる恐れを制御することだと考えています。
では、恐れの正体とはどんなものなのか?
存在意義の崩壊だと思います。
どういうことか?
例えば、人は自分の意見を否定されると気分を害しますよね?
それは、「意見」と「自分という存在」を同化させているから。
意見を否定された=自分を否定された、となり存在意義が揺らぐわけです。
これが、意見が否定されただけで、別に自分が否定されたわけじゃないと解るとデンとしていられます。
解ると表現したのは、頭で分かるのと区別するためです。
肚でわかる、そんなニュアンスね。
社長の認識の中に、「自分の会社」というエゴが強いと任せるのが困難になります。
部下が、自分と同化した会社を自分から引き剥がすような苦痛を感じます。
また、任せたことで、自分不在で事が進むようになるのも怖くなります。
よほど生まれた時から無条件の受容を受けた人でないと、普通は怖くなるものだと思います。
最悪を想定し、真の存在意義を探る
僕は3代目でしたので、「自分の会社」という認識は多少は薄かったと思います。
しかし、全責任を負っていますので、任せたことで、社員が僕の考えと違う意見を言うともの凄く怖くなりました。
師匠に相談したら、怖いと認識しているだけマシだと言われました。
怖さを認識していないと無性に怒りがこみ上げてきます。
そして、その原因を外に求めます。
つまり社員が原因だと思うようになるわけです。
怒りの原因は社員ではなく自分の心の作用なのです。
どうすれば制御できるのか?
これは僕の経験ですので再現性があるか分かりませんが、僕は「最悪を想定する」ことをしました。
もし社員が間違った判断をして会社がおかしくなったら…
→基本的に会社がひっくり返るような判断は社員はできない。
会社の業績が悪くなって、社長としてのステータスが崩れたら…
→会社の規模や業績で僕を判断する人が僕を軽蔑しても、そんな事で判断しない家族や親友がいる。
もし会社が潰れたら路頭に迷うかも…
→今の時代、破産しても食っていける。
最終的に生きていけないかも…
→どうせいつかは死ぬ。(極論です)
最悪を想定し、想定し、嫌になるくらい想定した結果、米澤晋也の「真の存在」に変わりがない、そんな事を感じるようになりました。
「死ぬこと以外はかすり傷」と言いますが、それが10%くらい分かっただけで、任せることへの恐れが軽減しました。
僕は、全てを引っ剥がされても僕。
あなたも、全てを引っ剥がされてもあなたで居続ける。
素晴らしい真理だと思います。
恐れることは弱いことではない、恐れながら前に進めばいい、そう思います。
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