「人に光を当てる経営」は人が自立しない経営
指示ゼロ経営に従業員はいない「仕事の主」がいるだけ
以前に、僕が経営してきた新聞店に労働基準監督署が査察に入ったことがありました。
もう、それがお互いに話しが噛み合わなくてすごく疲れました。
労働実態以前に、使うワード(用語)から噛み合わない。
何が噛み合わないかって、僕は「従業員」という言葉が嫌いだから。「従う存在なのか?」と考えるからです。
職員さん:「まず、御社の従業員さんの人数を教えて下さい」
米澤:「ゼロです!」
査察に入った職員さん、僕の持論にすごく困惑していました。
「そういう話じゃないんだよ」って言いたそうでした(笑)
現行の法律では経営側と労働側をハッキリと分けて考えます。
経営側は意思決定をする立場(頭脳)
労働側は、決められたことを遂行する立場(手足)
だから従業員と名付けられたのだと思います。
指示ゼロ経営では社員さんを手足とは見ません。
頭脳、パートナーとして尊重します。
自ら仕事を創造する「仕事の主」なのです。
「自分でやることを決め→実行し→実行したことによる変化・成果を自分で検証し→次に活かす」
この一連のサイクルを自ら回します。
これができる人は「一人前」です。
どうすれば一人前が育つかと言えば、取りも直さず一人前として接することです。
それしか方法はないと思います。
しかし、世の中、相手を一人前として尊重しないケースが多いと思います。
例えば、家庭における子どもの扱いがそうです。
寝る前にハミガキをしない子どもに対し、親が「歯を磨きなさい」と決めます。
子どもはハミガキをすることの意義を考えることなく、意思決定に参画することなく「やらされ」になりますから、行動が変わりません。
行動が変わらない様子を親が見て、新たなプランを決めます。
そんなことをしていたら、いつまで経っても一人前には育たないと思います。
他人に光を当てられなくても自ら輝く人を育てる
査察の最後に、職員さんが本音を言いました。
「米澤さんの言うことは、実はすごく分かるんです。でも、法治国家であり、私はその番人みたいな者なので、こう言うしかないんです…」
「でも、御社の『人に光を当てる経営』は素晴らしいと思います」
そう褒めてくださいました…
が、ここから再び僕の演説が始まりました(笑)
僕は「人に光を当てる経営」という考え方はしていません。
その理由は、誰かに光を当てられなければ輝けないのか?と思うからです。
職員さん、ごめんね…意地悪したんじゃないんだよ。
でも、言葉は言霊…使う言葉で精神的な態度が変わってくると考えるのです。
仕事の主は自ら輝くことができます。
いわば恒星のようなものです。
主体性を持っているから自ら輝ける。
人に光を当てる経営って、なんだかリーダーが主役みたいで嫌なのです。
宇宙で例えるなら恒星が系を成す…太陽系のような系です。
系の中心には太陽のような存在…集団が共有する大切な価値観が置かれています。
その周りを様々な個性を持つ恒星が取り囲んでいる、そんなイメージです。
そして自分たちの系も、もっと大きな系の一部だと。
太陽系に対する銀河系のような関係です。
自分たちの系の外には、色んな系がある。
それは企業であったり家庭であったり地域のコミュニティだったりと。
大きな系の中にあり、自分たちがどのように他の系と調和していくか?
その形が自分たちの系のミッションだと思うのです。
今日の記事はいつもより抽象的でメタファーが多かったと思います。
まずは自ら輝く仕事の主がたくさんいる会社にすることだと考えます。
それでは今日も素敵な1日をお過ごしください。
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