「傍若無人なママ集団を一喝したバスの運転手の話」から感じる違和感
おはようございます。
今日も、昨日に引き続き夢新聞協会の認定講座です。
がんばるべ!
さて、ネットで流れている、傍若無人なママ集団を一喝したバスの運転手の話がありますよね?
あれ、実話かどうかは別にして、僕はすごく違和感を感じるんです。
その話は、障がいのある子どもと一緒にバスに乗ったママさんの体験です。
バスに乗り、いつものように、運転手さんがクルマ椅子専用の席に座っていた乗客に「譲ってください」とアナウンスした。
それが気に入らなかったのか、文句を言い出した。
文句の矛先は運転手じゃなく、その親子にでした。
数名のママさん集団がその親子に向かって心ない言葉を吐く。
「障がいの子は、バス降りようか?と言う」
それを聞いた運転手が、「あなた達の存在が迷惑です」と傍若無人なママ集団をバスから降りるよう命令をした。
乗客も「さっさと降りろ、うざいんだよ」と後押しをする。
ママ集団は渋々バスから降りる。
こんな話です。
詳しくはここね。
http://ruisenhoukai.com/1014
僕が違和感を感じるのは、善が悪を懲らしめるという構図になっていることです。
運転手さんの行動の素晴らしさよりも、ママ集団が懲らしめられた事によるスッキリが、この話を際立てせていると感じました。
それはSNSでの反応に現れています。
反応は「運転手さん素敵!」とともに「ママ集団ざまあみろ!」が多い。
なぜか怒りに満ちたコメントが多いのです。
善を際立たせるために、悪が必要だという構図は好きじゃありません。
悪を退治してスッキリも好きじゃない。
僕は、もしこの話がこんなだったら良かったと思いました。
ママ集団の傍若無人ぶりを無視して、その親子が安心して乗車できるように、運転手も乗客もみんなが親子を支援した、自分にできることで。
この話が実話だとして、もしこのような行動をみんながとったら、多分、ママ集団は自分が恥ずかしくなって、何らかの気付きを得たと思います。
「さっさと降りろ、うざいんだよ」と言った乗客は、ただ自分の中で消化できない怒りをぶつけただけです。
悪(と思い込んでいる)相手を退治しなければどうしようもない場面は確かにあると思いますが、後で残るのは「懲らしめてやった」というスッキリ感の方が大きい。
悪(と思い込んでいる)相手よりも、今、目の前で困っている人、悲しんでいる人に100%意識を向け、自分にできることをする人の方がカッコいい。
そして、多くに好影響を与えると僕は思っています。
僕はそういう人になりたい。
あ、あまり知られてはいませんが、この傍若無人ママ集団のリーダー格の女性は、自身にも障がいがあって、それでずいぶん差別を受けた経験があったそうです。
だから、自分のことを何も知らない運転手さんに、事務的に「席を譲ってくだだい」と言われたのが嫌だったそうです。
…というのは僕のつくり話です。その可能性もゼロじゃないと思うが。
でも、そしそうだったら感じ方は変わりますよね?
意識を向ける相手は誰なのか?
それは時にはお客様だったり、社内に仲間かもしれません。
それに向かって、自分にできることを自らの意思で決め行動するのが指示ゼロ経営です。
悪者は必要ないのです。
誰も縛らない、誰にも縛られないあなたが大好きです。
また明日!