「使命」と「氏名」と「指名」の不思議な関係
日本語には、回と会と階といったように、漢字は違うが同じ読み方をするものがあります。
それらの中には、思想が通底するものがあります。
例えば「徳」と「得」がそう。近江商人の「三方よし」は「徳」を説く言葉ですが、それを極めると商売が繁盛し「得」が得られます。
徳を極めると得になるし、その逆も真なりと捉えることもできます。
同じように、「使命」と「氏名」と「指名」にも不思議な因果があると思います。
ここで言う「使命」とは、文字通り命を使ってやるべきことで「天職」と定義します。
僕は以前、自分が進むべき道について悩み、メンターに相談したことがあります。
すると唐突に「お前の氏名は何だ?」と問うてきました。「今更何を?」と思いながら「米澤晋也です」と答えると、メンターはこう言いました。
「米澤晋也を生きることがお前の使命だ」
それを聞いた時に、米澤晋也を「生きる」とは、米澤晋也が「活きる」ように生きることだと、ここでも漢字の不思議に出会ったのです。
自分が活きるように生きることができたら理想ですが、そこには「食う」(稼ぐ)という課題がつきまといます。
この件に関し、僕が感銘を受けたエピソードがあります。
アメリカの俳優、エド・ハリスが、テレビ番組で俳優を目指す若者たちと対談した時に、下積み生活が長かったことについて「辛くてやめてしまおうと思ったことはなかったのですか?」と質問を受けました。
しばらく考えた後に、「君の質問の答えになっていないかもしれないが」と前置きした上でこう答えました。
「俳優をやめてしまえるヤツは、やめても生きていけるんだよ」
つまり、当時、彼は俳優をやめたら、それまでよりも食える仕事に就くことは出来たかもしれない。
でも、それは「生きていることにならない」ということです。
私たちは、職業の選択を「交換の原理」で考えがちです。
自分が差し出す時間や労力に対し、より金銭的なリターンの良い職業を選ぶ癖があります。しかし、それだと続かないのです。なぜならば、よりリターンの良い職業があれば浮気してしまうからです。
僕は、若い頃に、信州の名産品を売る通販事業に手を出したことがあります。しかし、上手く行かず、1年あまりで撤退。当時の僕は、撤退の理由を「資金が尽きた」と言っていましたが、本当はそうではありません。
通販は僕にとって「やめてしまえた」ことだったのです。
交換の原理だけでは何事も成就はせず、結果的に食うこともままならなくなると思います。
おそらくエド・ハリスは、自分の才能をお金と交換するという発想ではなく、自分の才能で誰かに喜んで欲しいという、純粋な動機で自分を磨き続けたのではないでしょうか。
それが生きているということ。
その原理は、交換ではなく「贈与」です。
あなたにも経験はないでしょうか。
何か、素晴らしいことに出会った時に、それを家族や友人に教えずにはいられない、あの感覚と同じだと思います。そこには取引の意図はありませんよね。
贈与には、受け取る人の存在が必須です。つまり、その人から「指名」されなければ成り立たないということになります。
だから生きるとは「活かされる」ということなのだと思うのです。
「使命」と「氏名」と「指名」には不思議な関係がある。
僕には「その人だからできることで、誰かに喜ばれた時に人生が開花する」という想いがありますが、それを3つの漢字で解釈した時に、とても嬉しい気持ちになり、思わず記事にせずにはいられなかったのです。
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