貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、いくらあっても満足しない人
僕がまだ若い感性を持っていたころ、20代のころに疑問に思った事があります。
「なぜ企業は成長し続けることを望むのだろうか?」
若い僕にはとても不思議でした。
人口が永遠に増え続けることがないように、成長し続けることはないんじゃないか?と思ったからです。
ここで言う「成長」とは売上高や経常利益など、スペックで評価できるものです。
しかし、僕はあっという間に資本主義の人間になってしまいました。
気づけば「来期は前年比110%を狙おう」と叫んでいた。
ある年のGW、家族で温泉旅館に行き、湯に浸かっている時…すごくリラックスした時に、はたと気付きました。
「ああ、僕の成長意欲は、実は恐れから発動されたものなんだ」
自分がより多くを得ないと誰かにとられる、もっと頑張らないと得たものが失われてしまうと、漠然と思っていたことに気付いたのです。
GWは日常を忘れストレスから解放されます。
ホッとした気持ちと日常のコントラストがはっきりした時だからこそ気付いた真理なのだと思います。
同時に、白く濁った湯に浸かりながら、「GWが終わったらまたあの激しい日常が始まるのか〜 疲れるな〜」と思ったことを覚えています。
でもそれがビジネスパーソンの宿命だと自分に言い聞かせました。
それにしても「ビジネスパーソン」って、そんな人種がこの世にいるんですかね?
「ラダック 懐かしい未来」という本があります。
「リトルチベット」と呼ばれるラダック地方が資本主義に染まっていく様子を記録したドキュメンタリーです。
著者であるジャーナリストのヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが最初にラダックに行った1975年当時、ラダックの人々はとても「豊かな」生活を送っていました。
石で作った3階建ての家に住み、麦やヤギの乳からつくったバターなどを食料に生活してしました。
豊かな人間関係を基に支え合え分かち合いコミュニティが成り立っていました。
その時に、ヘレナがある少年に「この村で一番貧乏な人ってどういう生活をしているの?」と聞くとこんな答えが返ってきました。
「この村に貧困はないよ」
その直後、インドがラダックを観光資源として活用するようになり資本主義の人間たちが来るようになりました。
観光客を相手に商売をする人も現れました。
西洋人が履いているジーパンに憧れ、頑張って働く人が増えました。
「ビジネスパーソン」の誕生です。
村人たちは得たお金で、これまでとは違うモノたちを買えるようになりました。
当然、上手に商売ができないビジネスパーソンの中には得られない人も出ました。
そしてどうなったか?
1975年当時に「貧困はない」と言っていた少年が、わずか8年後の1983年にエレナに言いました。
「ラダックの人たちを助けてください。こんな貧しい私たちを」
僕は2012年の地球サミットでのウルグアイのムヒカ元大統領のスピーチに心を打たれました。
「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだ」
「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです」
私たちは一体、何のために仕事をしているのでしょうか?
そこにイキイキとした生命の営みはあるのでしょうか?
私たち企業人は、活動の目的を根本から見直す時期に来ているのかもしれませんね。
それでは、素敵なGW最終日をお過ごしください!