他界した父が教えてくれた「会社は誰のものか?」という議論の答え
会社は誰のものか?という議論があります。
僕が大学を卒業し、社会に出た1995年にはそんな議論はありませんでしたが、直後にアメリカの経営手法がたくさん入ってきて大きく変わりました。
そこでは、「会社は株主のもの」という前提がありました。
「誰のもの」と断定されると、反発が生まれます。当時も、「いや、会社は従業員のものだろ」「いやいや、顧客のものだ」という反発があったのを覚えています。
ウチは商売屋でオーナー社長なので、僕は「株主のもの」と思っていました。
しかし、その考え方が大きく変わる出来事がありました。
父の他界です。
父は、昭和4年生まれで、10代の頃には海軍の予科練で鍛えられました。
軍人気質が強く、経営は独裁的でした。
今から28年前、父は、末期がんで余命半年の宣告を受けました。当時は、がんの告知はしない風潮が強く、父には胃潰瘍と説明しました。
余命半年の残酷さを、僕は目の当たりにしました。
日に日に悪くなっていくのです。
父も、もしかしたら気付いていたのかもしれません。
父は、明らかに、最期の時が近づくにつれ意識が変わっていきました。
入院した当初は、社員さんがお見舞いに来ると、看護師さんに「アイツは俺の従業員だ」と、自分が社長で人を雇っていることを自慢していました。
「俺の会社」「俺が買った外国車」「俺の家」
僕は、思ったのです。
父には口が裂けても言えませんが、それらは、すべて、半年後には父のものではなくなっているのです。
あの世に持っていくこともできないものなのだと、当たり前のことを痛感したのです。
これは父だけでなく、僕にも言えることです。
僕は後継者なので、会社は譲り受けますが、僕もあの世に持っていくことができないのです。
会社は俺のものじゃない。
誰のものでもない。
「この世の論理」では、法律で所有が定められていますが、「あの世の論理」では、誰のものでもないと思ったのです。
父は、死期が近づくにつれ、「俺の」という言葉を使わなくなりました。
僕は、父に末期がんが見つかってから家に戻ったので、父と一緒に仕事をすることは一度もありませんでした。
新聞店は休みが少なく、朝が早い商売なので、同じ家に住んでいても、あまりコミュニケーションをとる機会はありませんでした。
最期に過ごした半年間は、僕にとって、とても濃厚な時間でした。
父は僕に、人生で一番大切なことを教えてくれたのです。
この世に生きていれば、「誰のものか?」という議論に巻き込まれることが多いと思いますが、時々、「誰のものでもない」という視点に立つことで、色んなことが楽になると思うのです。
それでは今日も「俺のブログ」をお読みいただき、ありがとうございました(笑)
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