この世に「底辺の仕事」など存在しないという事を強く言いたい
とある就職情報サイトに「底辺の仕事ランキング」が載ったとして批判を浴びているそうです。
調べてみるとランキングでは具体的な職種が載っていました。
これらの職業に従事している方が見たら悲しむだろうな…とても重要な仕事なのに。
批判されて当然だと怒りがこみ上げてきました。
と同時に、僕自身の経験を思い出し恥ずかしくもなったのです。
僕が経営してきた新聞店は、この情報サイトが定義する「底辺職の定義」に当てはまりますし、僕も社長に就任した時にそう思っていたという歴史があります。
ちなみに同サイトの底辺職の定義は次の通りです。
1、肉体労働である
2、誰でもできる仕事である
3、同じことの繰り返しである
まさに新聞配達が当てはまります。
僕は家業を継いだ当時、新聞配達をしている自分に誇りを持てない事が何度もありました。
同級生の家に配りに行く時なんかは、絶対に見つからないようヘルメットを深くかぶりねずみ小僧ばりの動きで配ったものでした。
そんな僕の頭をハンマーでぶん殴ってくれたのは、配達アルバイトのOさんでした。
まずはこの写真を御覧ください。
Oさんが手にしているのはお客様からいただいた感謝の手紙です。
どうして新聞配達で感謝の手紙がもらえるのか?
実はOさん、若い頃から消防団をやっていて、その延長で新聞を配りながら各家庭と地域のパトロールをしていたのです。
例えば、独居老人の家で前日の夕刊がポストから抜かれていない場合、中で倒れている可能性があります。
その場合、民生委員さんを通じ安否確認をしていたのです。
当然、地域の民生委員さんを把握していたということになります。
緊急時は警察に通報することもありました。
そして実際に、数名の命を救っているのです。
あるお客様からいただいた手紙を読んで、僕は感動したとと同時に、新聞配達に誇りが持てなかった自分が恥ずかしくなりました。
「新聞配達員さまへ。私は90歳の老女です。いつも私を見守ってくれて有難うございます。先日は、真夏に転んでしまい動けないところ、早朝に民生委員さんの◯◯さんが来てくれました。聞くと新聞配達の方から確認の依頼があったそうです。本当に感謝の言葉が見つかりません。有難うございました。あなたのお陰で私は安心して暮らすことができていますし、東京にいる息子も安心だと言っています。私は目が悪くて新聞を読むことが出来ませんが、あなたが配ってくれている間はやめずに取り続けたいと思います」
この世に底辺の仕事などありません。
あるのは、特定の仕事を底辺と決めつける人がいるという事実です。
それは、メディア、経営者、従事者と様々ですが、考え方を改めてほしいと願います。
件の情報サイトの件を知って、僕は自分の体験を多くの人に伝えなければと思い、記事にしたのです。
あなたにも僕と同じような経験があれば是非、教えてください。
誰も縛らない、誰にも縛られないあなたが大好きです!