3.11以前の家族6人で幸せだったあの日に戻りたいという夢
あの日から10年が経ちました。
僕はあの日は出張で、建物の5階にいて、その瞬間に遭遇しました。
これまでに経験したことのない、大きく長い揺れに恐怖したことを覚えています。
すぐに家に帰りテレビを付けると現実感のない光景が飛び込んできた。
翌朝の朝刊には「東北壊滅」という太い見出しが踊っていました。
その年の夏、僕は岩手県大槌町に行きました。
親友が「夢ケーキ」という活動をしていて、僕たち夢新聞を誘ってくれたのです。
大槌町には4つの小学校があったのですが、全て津波に飲まれ破壊されてしまい、合同の仮設小学校で夢ケーキと夢新聞を行いました。
正直、僕はすごく怖かった。
街にはテレビで見たのと同じ瓦礫の山が積まれており、旧校舎には津波の爪痕が残っていました。
しかし、僕の想像以上に子どもたちは元気でした。
「漁師になり大槌を復興させる」
「自衛官になる」
「教師になる」
みんな、自分だけでなく他の人に喜んでもらう夢を描いていました。
その日は子どもたちだけでなく保護者にも参加してもらいました。
長男の子と参加されたあるお父さんがいて、ずっと塞ぎ込んでいました。
すごく辛く大変な思いをされたのだと察しました。
保護者にも夢を書いてもらいました。
そして…
そのお父さんは、奇跡でも起きない限り叶うことのない夢を描き、それを見て、僕は言葉を失いました。
人は未来を創ることはできても過去に戻ることはできません。
亡くなった人が生き返ることはない。
僕は、僕が生きている当たり前の毎日が、どれだけ有り難く幸せな日々なのかを知りました。
叶わない夢を描く人もいる…とても悲しくなったのですが、その30分後に、悲しみは淡い希望に変わりました。
お父さんと一緒に参加した長男がこんな夢ケーキを作ったのです。
分かりますでしょうか?
自分が将来、結婚して子どもを生んで、お父さんを含む6人で幸せに暮らしている未来です。
僕は、この親子から生きる上で大切なことを学びました。
今を生きること。
大切な人、コトを大切にすること。
そして、夢が夢を呼び、夢が人をつなぐことを。
私たちは、あの出来事を決して忘れず、教訓にして未来へ繋ぐ義務がある、そう思い、10年前の夏を思い出し記事に記したのです。