一見、欠如しているように見える能力が独自性の種かもしれない
先日行った「大人の夢新聞」に小学6年生の男の子が参加してくれました。
お父さんと一緒に参加してくれたのですが、彼の存在感は圧倒的でした。
実は、彼には2つの障がいがあるのです。
1つは発達障がい、もう1つは吃音。
吃音というのは上手に言葉が出ない症状で、どもってしまうんですね。
僕がなぜ、そのことを知っているのかといえば、彼が自己紹介でそう言ったからです。
自己紹介で、彼は「普通に」自分に障がいがある事を伝えました。
どもってスムーズにしゃべれない。
でも、一言一言、絞りだすように言葉を出していきました。
最後に「ご迷惑をお掛けするかもしれないけど、よろしくお願いします」と頭を下げました。
僕がこれまでの人生で出会った中で、最高の自己紹介でした。
それは、障がいがあるのに頑張っているという哀れみではなく、自分を受け入れ生きている姿に心を打たれたのです。
どんな夢を描くのだろう?と覗いてみると、「長野県の教育委員会の委員になった」とある。
具体的なのが気になりました。
理由があることは明白でした。
文章を読んでみると、こう書いてある。
元々、小布施町の教育委員会で活躍していたが、同町の子ども達だけではなく長野県中の子ども達のために県教育委員に抜擢された。
自身の生きづらさの経験から来るものでした。
すごい少年だよね。
自己紹介の時に感じたのは、「今この瞬間」もそこに至る過程であるという覚悟です。
僕の少年時代もそうだったし、多くの子どもたちが描く夢は「憧れ」が多い。
それはとても素敵なことなのですが、人生に真剣に向き合わざるを得ない状況に置かれた人が描く夢には迫力があります。
東日本大震災の被災地の子どもには「お金持ちになりたい」という夢が多かったのですが、それは父親を亡くした子に多かった。
「お母さんに大きな家を買ってあげたい」そんな思いからでした。
過ちを犯し、少年院に入所している少年も真剣だった。
でね、最後に行う夢発表が面白かった。
夢が実現した未来に行われる祝賀会をやるのです(笑)
もうみんなノリノリ。
「いや〜、すごく苦労しましたが、ようやく◯◯が実現したんです〜」なんてノリね。
彼の番が来た。
障がいを1つの個性として認め、共に生きる教育現場を創りたいと、ずっと願ってきて、まずは小布施町の教育委員会に入り、その後県の教育委員会に抜擢されました。
万雷の拍手。
すると、こう言いました。
「まさか、県の教育委員会に入っただけで、こんなに祝福されるとは思ってませんでした」
ユーモアのセンスあるじゃん(笑)
そこにいた全員が、本気で彼を応援したいと思ったはずです。
少なくとも僕はそう思った。
お父さんなんて号泣。
彼は、障がいを持っている自分だからこそ出来ることがあると確信しているんだよね。
そして、それを活かして活躍する自分を想像したらワクワクしてきた。
「障がいも1つの個性」なんて口で言うのは簡単だけど、彼の口から出たら重みが違う。
彼の発表を聞いていたら、やっぱり僕のおばあちゃんのことを思い出しました。
子どもの頃(今でもですが)集団行動と管理が大嫌いで、先生や親を困らせたけれど、おばあちゃんの「それでいい、それがいい」の一言に救われたんだよね。
当時は意味がわからなかったけど、今、僕がやっている活動は全て自分の個性の結晶。
今日の記事は「障がい者と共に創る社会」といった類の話ではありません。
ビジネスブログなんでね(笑)
きっとあなたにも、あなたにしかない資源があるんじゃないかって話です。
それは、時に、欠如している能力のように見えることがあるかもしれない。
そこにこそ、誰かに喜ばれる「種」があるかもしれません。
そこから、あなたにしか出来ない独自の商売が花咲くかもしれませんね!