業績に関係なく賞与を支給すると会社は壊れる。社長からのご褒美になると社員は育たない

おはようございます。

アベノミクスの影響で大企業の業績は少し向上しているみたいですが、中小企業は相変わらずといったところでしょうか。
ですが、政治家のせいにしていても始まりませんね。
先日、テレビの選挙特番でアベノミクスに触れ、どこかの町工場の社長にインタビューしていました。
いかにも貧相な風貌のオヤジを選んで、「中小企業にも仕事をまわしてほしい」と嘆願していましたが、それは安倍さんに言ってもしょうがないんじゃないかと思いました。

さて、そんな中ではありますが賞与の季節です。
もう支給しましたか?
今日は、社員の自発性を育てる賞与の支給法について書きます。

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安定的成長の時代の感覚で賃金を決めると大変なことになる

「失われた10年」という言葉があります。(20年という言葉もありますが…)
バブル崩壊から不況にあえいでいた空白の10年を指すのですが、その時代のキーワードはリストラでした。
=人員削減ではなく、構造を改革しなければならない企業が多かったのです。
ずっと安定的に成長した時代だったので年功序列で勤続年数に応じてみんな賃金が上がった時代ですが、その前提が崩れてしまいました。

そこで人員削減とともに登場したのが成果主義です。
しかし、あまり上手くいったという話は聞きません。
その理由の1つが、それを口実にした賃金削減だったから。
カラクリは小学生でも思いつくほどカンタン(笑)
わざと悪い成績をつけて昇級と賞与を抑えた。
酷いですね。

ちなみに成果主義が上手くいかないもう1つの理由は、成果主義の狙いは社内に競争原理を働かせることです。ですが、尻を叩いて走らせれば成果が上がるのは成長期で、知恵と創造性を組織で生み出し共有する場合、過度な競争原理は逆効果になります。
社内はギスギスした雰囲気になり、クリエイティブどころじゃない。

賞与とはそもそも何なのか?

賞与の意味合いは、本来的には「儲かったから社員に還元しよう」というものです。
儲かったら支給できるけど、そうじゃなかったらできないものです。
それが安定的に成長した時代を長く経験したため「当たり前」になったのです。
まずはその前提の認識が必要。

そしてもう1つは「ご褒美」ではないということ。
正確に言うと、「頑張って成果を上げたご褒美」なら、まだいいんですが、単に頑張っただけのご褒美だったら「頑張ったね、ありがとう」の言葉だけでいいと思います。
あくまでも成果の分配なのです。

ご褒美ではないもう1つの理由があります。
君主が家来に「褒美を遣わす」という場面がありますが、自発性と自律性を育てるなら、そのような支給法はしない方がいいです。

ちゃんとルールを明確にすることが大切です。
よく「儲かったら、ちゃんと還元するから」という社長がいますが、どのくらい儲かったらどれだけ還元されるのか?が分からないと気持ちが悪いですよね。
そのような支給法を続けると、社員は社長の機嫌をとるようになりますし、それが気持ちよくなったら自発性は絶対に育ちません。

最も簡単なルールは分配率を決めること

当たり前でもなくご褒美でもない支給法にするためにはルールが必要です。
ルールはいたってシンプルで、粗利益の◯◯%を社員の総額人件費と決めることです。
で、月齢賃金はできるだけ安定させること。
よく、基本給を抑えて成功報酬のウェイトを大きくする企業がありますが、それも活動量を増やせば成果が出る場合にのみ有効な方法で、知恵を要する仕事には向きません。

そうなると、総額人件費ー月齢賃金=賞与総額になります。

例えば、半年間の粗利益額が1000万円だったとします。
社員が5人いて、彼らの半年間の月齢賃金の合計が600万円だとすると、1000万円ー600万円=400万円が賞与の総額になります。
それを5人で分配します。
どう分配するかは役職や等級に応じて変えていきます。

ただし、それでも賞与が減るのは辛いので、賞与が減った時(粗利益が減った)のために内部留保から減った分の◯◯%を補填するというルールも必要かと思います。
内部留保がない場合、社長の役員報酬から捻出する必要もあると、僕は思います。

企業は、無いものは出せませんし、誰かの取り分を増やすために誰かが犠牲になるのは良くありません。さらに社員の生活が守れるようにするための配慮も必要になります。
そして、もっと大切なことは賞与が社員の自発的なヤル気を支援するものである事。

それらをトータルに考慮したシステムが必要なのです。

あ、今日は固い話でしたね(笑)

それでは今日も素敵な1日を!

また明日。